犬が活躍する古典文学は?日本人と一緒に暮らしてきた歴史も解説

2025.11.16
犬が活躍する古典文学は?日本人と一緒に暮らしてきた歴史も解説

犬は、はるか昔の縄文時代から日本人と一緒にいたと考えられています。かけがえのないパートナーでもある犬は、『枕草子』や『徒然草』などの有名な古典文学にもたびたび登場します。描かれ方はさまざまですが、昔から犬が日本人の近くにいたことを改めて実感できるでしょう。

今回の記事では、犬が登場する古典文学をご紹介します。古典にはなじみがない方も、この機会に触れてみてはいかがでしょうか。

この記事の目次

日本武尊を導く白い犬『日本書紀』

古典文学,犬,白い,物語,歴史
『日本書紀』は奈良時代に成立した歴史書です。日本で最も古い歴史書ですが、すでに犬についての記述があります。

白い犬がもたらした導き

日本武尊(やまとたける)の一行は、信濃(長野県)の山道で道に迷ってしまいます。途中、白い鹿の姿になった山の神に苦しめられるなど大変な状態のなか、白い犬が忽然と現れて一行を導こうとするのです。

白い犬に一行がついていったところ、無事に美濃(岐阜県)に着くことができた、という不思議な話です。

「白い鹿」からもわかるように、『日本書紀』に限らず古典に出てくる動物は「白」が圧倒的に多い点が印象的ですね。おそらく白を「神聖な色」ととらえていたのでしょう。

白い糸を出す白い犬『今昔物語』

古典文学,犬,白い,物語,歴史
『今昔物語』は平安時代末期の説話集です。白い犬が登場する「犬頭糸(けんとうし)」という不思議なお話を紹介します。

蚕を失った本妻の苦難

三河国(現在の愛知県東部)では糸を税として納めていました。その三河国のある郡司は、2人の妻の養蚕によって良い暮らしをしていました。しかし、なぜか本妻の蚕がすべて死んでしまいます。郡司は気味悪がって寄り付かなくなり、本妻の家は寂れてしまいます。

一人寂しく暮らしていた本妻は、数年後に桑の葉に1匹の蚕を見つけます。1匹では糸は取れないものの、本妻は大切に育てていました。ところがある日、桑の葉を食べている蚕を、本妻が飼っていた白い犬がぱくりと食べてしまいます。

犬の鼻から現れた白い糸

本妻が大切にしていた蚕を食べられてショックを受け、泣いていたところ、犬がくしゃみをしました。すると、なんと犬の鼻から白い糸が出てきたのです。本妻が引いてみると、二筋の糸はどんどん止まることなく出てきます。

そこで、本妻はいろいろな物に糸を巻いていきました。とうとう糸が途切れたところで、犬は死んでしまいます。犬の鼻から出てきた糸は、今まで見たことのないような美しさでした。

犬が残した不思議な恵み

白い犬の亡骸を埋めたところにある桑の木には、たくさんの蚕がついて美しい白糸が大量に取れました。仏の助けがあるような女性をないがしろにしたことを郡司はひどく後悔し、再び本妻と暮らします。

郡司から話を聞いた国司は、朝廷に報告しました。そしてこの「犬頭」という糸を献上することになり、天皇の衣服料となりました。

犬が好きな人からすると、犬が蚕のような思わぬものを食べてしまうのは「あるある」です。ところが鼻から糸が出てくるといった展開には、戸惑ってしまうのではないでしょうか。この物語の解釈としては、仏様が犬となって本妻を助けた、ということになります。

清少納言から見た犬『枕草子』

古典文学,犬,白い,物語,歴史
どこか幻想的だった『日本書紀』や『今昔物語』とは異なり、『枕草子』に出てくる犬は急に現実的になります。作者が「清少納言」と明確である点も、リアルな犬の姿を感じさせるのでしょう。

宮中で可愛がられていた翁丸

『枕草子』に出てくる犬は、当サイトの記事「猫は日本でどんな風に暮らしてきた?古典文学に登場する猫たち」でも紹介した、宮中で飼われていた「翁丸(おきなまる)」の話で登場します。翁丸は庭で飼われ、一条天皇の中宮である定子に可愛がられていました。

一方で一条天皇は、自分の猫「命婦の御許(みょうぶのおとど)」を、溺愛していました。ある日、乳母は翁丸に対して「縁側で寝ている命婦の御許を食べておしまい」と冗談をいいます。ちなみに乳母とは猫の世話係です。

翁丸は真に受けて、縁側で昼寝をしている命婦の御許のところに本当に駆け寄って、驚かせてしまいました。たまたまそれを目撃していた一条天皇は怒ります。そして蔵人らに翁丸はひどく懲らしめられ、犬島(野犬を収容する場所)に追いやられて姿を消します。

追放された翁丸の帰還

清少納言が翁丸がいなくなったことを残念がっていたある日、見知らぬ犬が宮中にやってきました。この犬は二人の蔵人に打ちのめされたものの、ボロボロの姿で戻ってきます。

定子が「翁丸か?」と声をかけると、翁丸は涙を流して「そうだ」と応えたのです。その姿に一条天皇も感動し、宮中で暮らせるようになったといいます。

この話のポイントは、「翁丸は冗談であっても言われたことを聞く忠犬であること」。そして「罪を犯しても(翁丸にとっては半ば冤罪ですが)許されることがある」と人にも置き換えられるような展開であるところ。当時すでに野犬を収容する場所があったというのも興味深いですね。

清少納言の独特な犬観

清少納言は翁丸が好きだったようです。「三月三日には、頭を柳で飾り、桃の花を首にかけて、桜を腰に差して練り歩いていたのに、こんな目に遭うなんて」と哀れに思っていました。犬が涙を流した、という表現は清少納言が少々「盛って」いるのかもしれません。

ただ、『枕草子』の他の段では「すさまじきもの(興覚めなもの)」として「昼吠える犬」、「にくきもの」として「近寄ってきた人に人見知りして吠える犬」とあります。そのため、清少納言は吠える犬についてはあまり好きではなかったのかもしれません。

道長を救った白い犬『宇治拾遺物語』

古典文学,犬,白い,物語,歴史
鎌倉時代前期の説話集『宇治拾遺物語』にも、犬にまつわる不思議な話があります。

白い犬の不思議な行動

藤原道長は白い犬を飼っており、大変かわいがっていました。法成寺を建立してからも、犬を伴い毎日御堂に通っていました。

ところがある日、いつものように寺の門に入ろうとすると、犬が衣の裾を引っ張って阻止します。「何か理由があるにちがいない」と陰陽師の安倍晴明に調べてもらうと、道長への呪いのまじないが埋められていたのでした。

安倍晴明は「犬には神通力があるので、告げてくれたのであろう」と道長に伝えました。道長は、自分を救ってくれた犬をますますかわいがったそうです。

白い犬の神聖視

やはりこの話でも「白い犬」が出てきます。白い動物は、やはりどこか神聖だとみなされていたのでしょう。

そのため、神聖な話にするために「白い犬」としたのか、本当に白い犬だったのかは不明です。ただ、犬の鋭い嗅覚や聴覚を、当時の人は神通力と感じていたのかもしれません

ちなみに安倍晴明の没年は1005年(寛弘二年)、法成寺の建立は1010年(寛仁四年)であるため、史実とは異なります。

吉田兼好『徒然草』に登場する犬

古典文学,犬,白い,物語,歴史
吉田兼好による『徒然草』は、教科書でも習うおなじみの随筆ですが、そこにも犬は登場します。第八十九段の「奥山に、猫またといふものありて」というお話を紹介します。

猫また騒動とその正体

奥山には、長生きした猫が妖怪になった「猫また」が出るという噂がありました。連歌を作る僧も噂を聞き、「一人歩きのときは気を付けないと」と思っていたのです。

僧は、ある連歌の会で賞をもらいます。会から帰る途中、川の近くにさしかかったところ、何者かが突然僧に飛びついてきました。

僧は驚き、「猫まただ、助けてくれ!」と叫びながら川に転げ込みます。騒ぎを聞いた近所の人々が「なにごとだ」と松明(たいまつ)をともして駆け寄り、僧を川から助け出しました。

せっかく連歌の会でもらった賞品も、すべて川の中に落としてしまった僧は、這いつくばりながら家に帰っていきます。

実は飛びかかったのは、猫またではなく僧が飼っていた犬だったというオチでした。この話のおもしろいところは、最後まで読まないと猫またの正体が犬だとわからない点です。

この話を読むと、当時すでに「犬を飼う」という人がいたことがわかります。「飛びついてきた」という点から、おそらく放し飼いだったと想像できますね。

動物に対する兼好の思い

吉田兼好は、動物を飼育することについて、いろいろな思いがあったようです。ただ、犬については「飼うのは当たり前」ととらえていました。

一二一段では「人が養って飼う動物である馬と牛を、つないで苦しめるのはかわいそうだ。しかし人間の生活になくてはならないものだからどうしようもない」と胸の内を語っています。つながれている動物を見るのが辛かったのでしょう。

そして犬については「犬は家を外敵から守ることに関して人より優れている」から必ず飼っておきたいとしています。ただ、どの家でも犬を飼っているから、わざわざ自分で求めて飼うのはよくないと説いているのです。つまり、それだけ犬を番犬とする人が多かったと推測できます。

それ以外の鳥や獣は、必要がないから飼わなくてよいとしています。「獣を檻に入れて鎖につなぐ、鳥は羽を切られてかごに入れてしまう。鳥や獣たちが大空の雲を恋しがり、野山を慕う嘆きは絶えることがない」と飼育について批判しているのです。

「鳥や獣の切ない思いを自分の身に置き換えてみて辛いと思うような心を持っている人が、飼うことを楽しめるだろうか、いや、それはできない」とも述べています。

おそらく小鳥などを飼っているのを目にして「かわいそうだ」「飼うべきではない」と考えていたのでしょう。

まとめ

古典文学,犬,白い,物語,歴史
古典文学にはさまざまな犬が登場します。それだけ日本人と犬の関係が古くから築かれていたということです。白い犬が多く出てくるのは、「白」が神通力など神秘的なものを感じさせるからでしょう。

平安時代には、すでに犬をかわいがる描写もあります。鎌倉時代では番犬としての役割が大きかったようですが、飼い主に忠実な犬は人にとって癒しの存在だったのかもしれません。

関連記事

こちらの記事も読まれています

いぬ」の記事をさがす