猫は日本でどんなふうに暮らしてきた?古典文学に登場する猫たち

2022.05.16
猫は日本でどんなふうに暮らしてきた?古典文学に登場する猫たち

前回は、猫の世界史と日本に入ってきた経緯を解説しました。

では、猫は日本でどのように人々と暮らしてきたのでしょうか。平安時代から江戸時代に執筆された古典文学から、猫のエピソードをいくつか紹介します。

この記事の目次

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平安時代は貴族のペット

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文学に「飼い猫」としての記録があるのは平安時代からです。「唐」からやってきた猫は、「唐猫(からねこ)」と呼ばれ、大変貴重な存在でした。そのため貴族しか飼えなかったのです。

日本初の猫の記録は『宇多天皇御記』

宇多天皇(867~931)は父・光孝天皇から黒猫を譲り受けました。その黒猫の記録が『宇多天皇御記(寛平御記)』に綴られているのです。これは日本で最初の飼い猫の記録だといわれています。

「ひまがあったので、猫について綴る」という文から始まる猫日記。「うちの猫の毛色は類まれだ」「歩くときは音も立てない」「どんな猫よりもネズミを早く捕まえる」など、猫について事細かに綴っており、現代の「猫ブログ」のようだと評する人もいるほどです。

宇多天皇は毎日乳粥(ヨーグルトのようなもの)を与え黒猫を大変かわいがっていました。ただ、不思議なことに猫の名前は記されていません。

大の猫好き一条天皇

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平安時代の猫好きといえば、一条天皇もよく知られています。自分の猫に「命婦の御許(みょうぶのおとど)」と名付け、溺愛していたようです。「命婦の御許」は記録に残る日本最古の猫の名前といわれています。

「命婦(みょうぶ)」とは、従5位以上の位階(いかい)を持つ女性の役職名です。つまり一条天皇の猫には位があったのですね。

清少納言が執筆した『枕草子』には、一条天皇と命婦の御許が登場します。清少納言は、一条天皇の后・藤原定子に従えていたので間近で猫の様子も見ていたでしょう。

枕草子では次のように記されています。

“ある日、縁側で昼寝をしている命婦の御許を見かけた乳母は、「お行儀が悪い、おうちに入るように」と声をかけます。しかし、命婦の御許は知らんぷり。そこで乳母は、庭にいた犬の翁丸に「命婦の御許を食べておしまい!」と冗談でけしかけます。

ところが翁丸は本当に飛び掛かってしまったため、驚いた命婦の御許は天皇のところに逃げてしまいました。翁丸は一条天皇の怒りを買い、蔵人たちにひどく凝らしめられて姿を消してしまいます。

死んでしまったと思われた翁丸は、ある日変わり果てた姿で宮中に戻るのです。そして「お前は翁丸か?」と問われ、涙を流して「そうだ」と答えるのでした。このエピソードに一条天皇は「犬にもこのような感情があるなんて」と感心します。“

清少納言はどちらかというと犬の翁丸に同情をしているようで、犬派だったかもしれません。そして一条天皇の異常な猫好きに少々あきれているような印象も受けます。

ちなみに、翁丸については「桃の節句のときは梅や桜の枝で飾り立てて歩いた」という記述もあり、それなりにかわいがられていたようです。

『源氏物語』では猫が重要な役割を

紫式部の『源氏物語』にも、非常に重要な役割をする猫が登場します。光源氏の妻・女三宮(おんなさんのみや)と、頭中将・柏木が出会うきっかけを作ったのが、女三宮の飼っている子猫なのです。

ひもにつながれて大切にされている子猫は、他の猫に追いかけれらた際、御簾(みす:すだれのようなもの)にひもを引っかけてしまいます。

すると御簾が開いてしまい、庭で蹴鞠をしていた柏木と部屋の中にいた女三宮が顔を会わせるのです。当時、女性らは姿を隠しながら暮らしていたので、男性に顔を見られるのは大変な出来事でした。

もともと女三宮に心惹かれていた柏木。この事件をきっかけに女三宮と道ならぬ恋に落ちてしまいます。

迷い猫が登場する『更級日記』

平安時代は、ひもにつながれて大切に飼われていた猫ですが、迷い猫になるケースもあったようです。

迷い猫が出てくるのは『更級日記』。更級日記は平安中期に成立した日記文学で、作者は菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)です。

この日記の中で、「夜更けまで本を読んでいたら猫の鳴き声が聞こえた」という一文があります。つまりどこかから迷い猫がやってきたのです。そこに現れた作者の姉は「内緒で飼ってしまおう」といいます。貴重な猫がやってきてラッキーと思ったのでしょうか。

『今昔物語』では猫が拷問に使われるエピソードも

また、平安時代の文学『今昔物語』では「猫嫌いの人」も登場します。「猫恐の大夫(ねこおじのたいふ)」というあだ名がつくほど藤原清簾(ふじわらのきよかど)は「猫が大の苦手」です。

あるとき、清簾は官物(税のようなもの)を出すのをさぼろうとします。それをとがめた大和守・藤原輔公(ふじわらのすけきみ)に、猫がたくさんいる部屋に閉じ込められる「拷問」を受けてしぶしぶ官物を出すというエピソードがあります。

また清簾が通ると、人々がからかって猫を持って追いかけたという話もあるので、もしかしたら猫は町中にいたのかもしれませんね。

ネズミとりのために猫が放し飼いに

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平安時代にはひもにつながれて飼われていた猫ですが、織田信長と豊臣秀吉による織豊政権になるとネズミを捕らせるため突然放し飼いになります。慶長7年(1602年)には「猫を放し飼いにせよ」とお触れが出ました。

戦が減り平和になると、だんだん食糧が豊かになります。同時にネズミが増えるため、ネズミを捕ってくれる猫はありがたい存在だったのです。ペットというより、益獣としての役割が大きかったと思われます。

貴重な猫をめぐり洛中では猫を盗む、高値で売買をするなどの行為が増えていました。豊臣政権は、それらを厳しく取り締まっていたようです。

江戸時代はペット化が進む!

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江戸時代になっても猫は相変わらずネズミを捕る貴重な存在でした。猫が手に入らない人は、少しでもネズミ捕りの効果が欲しくて猫の絵を飾っていたほどです。そのため、たくさんネズミを捕る優秀な猫は高い値段で取引されていました。

猫が浮世絵などのモチーフに

江戸時代後半になると、庶民も猫を飼うようになります。同時に猫ブームがやってきて、浮世絵やおもちゃ絵などのモチーフになったり俳句や川柳にも詠まれたりと大変な人気ぶりでした。

特に浮世絵画家「歌川国芳」は猫好きで知られ、猫を描いた浮世絵をたくさん残しています。ユニークなのは『おこまの大冒険~朧月猫の草紙』。これは歌川国芳が挿絵を、山東京山(さんとうきょうざん)がストーリーを作った猫の物語です。主人公の猫「おこま」の出産シーンでは、人間がみかん籠を用意して物陰に置くなど優しさを感じます。

猫又

一方で、江戸の人々は「猫又」という化け猫を恐れていました。妖怪猫又は、山の中に住む巨大な化け物として鎌倉時代に徒然草などにすでに登場しています。しかし、江戸時代には、年を取った飼い猫の尾が2本に裂けて化け物になる説が有力になったようです。

「マイペースで群れない」「ツンデレ」な猫に、江戸時代の人は愛情と同時に何らかの恐れも抱いていたのかもしれません。

まとめ

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猫は日本に来て以来、ずっと人々を魅了していたとわかります。
猫好きな方なら、宇多天皇や一条天皇の気持ちも共感できるのではないでしょうか。時には古典文学を手に取り、当時の人々の猫への想いに触れるのも楽しいですね。

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