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猫の可愛がり方もさまざま!愛猫家だった4人の歴史上の人物

2023.12.03
猫の可愛がり方もさまざま!愛猫家だった4人の歴史上の人物

歴史に名を刻む偉人の中には、愛猫家としても知られる人物が数多く存在します。その中には、単に猫の魅力に心を奪われた人々や、猫とともに戦場で活躍した人物など、さまざまな顔ぶれがいます。

今回は、政治家や将軍家の人物、有名な戦国武将など、愛猫家だった歴史上の人物を4人ご紹介します。

この記事の目次

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趣味は猫と言われていた「エイブラハム・リンカーン」

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エイブラハム・リンカーンは、アメリカ合衆国の第16代大統領で、2期にわたり大統領を務めた人物です。彼は「奴隷解放宣言」を表明しことで民衆から支持を受け、アメリカ南北戦争で北部を勝利に導き、アメリカを統一しました。アメリカ国内ではしばしば「歴代最も偉大な大統領の一人」と評されています。「人民の、人民による、人民のための政治」という演説でも有名です。

リンカーンは大変な猫好きで知られていました。彼には「私は犬や猫を大事にしないやつを信用しない」や「猫のためならば道も譲る」という名言があるほどです。

そんなリンカーンが大統領に選出された時、当時の国務長官から2匹の子猫を贈られました。彼は「タビー」と「ディクシー」と名付けられたその猫たちを溺愛し、仕事で疲れていても30分ずつ話しかけながら撫でていたという話が伝わっています。

リンカーンは野良猫たちにも愛情を注ぎ、時折彼らを家に連れ帰ることもありました。リンカーン夫人は「猫は夫の趣味」として受け入れていたそうです。

また、南北戦争下の1865年3月、グランド将軍のテントを訪れた際、リンカーンは母親を失った3匹の子猫を見つけると優しく抱き上げ、部下にその子猫たちの世話をするよう指示しました。
その後も、その子猫たちの様子を気にかけ、何度も部下に様子を尋ねるなど、彼の猫への愛情の深さが分かるエピソードが伝えられています。

大奥で姫猫を溺愛「篤姫(天璋院)」

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篤姫は江戸幕府第13代将軍、徳川家定の正室として知られる人物です。彼女は元々大の犬好きで、将軍家に輿入れする前は「狆」という犬種の犬を飼っていましたが、夫の家定が犬嫌いだったため、大奥では「サト姫」という三毛猫を飼っていました

将軍家の愛猫となれば、普通の猫とは暮らしぶりが違います。ここからは、篤姫のサト姫に対する溺愛ぶりを見ていきましょう。

  • 専属のお世話係が3名もついていた
  • 普段の食事は篤姫から食べ物を分けてもらっていた
  • 食器はサト姫専用のアワビの形をした瀬戸物で、黒塗りのお膳に載せて出されていた
  • 精進日には大奥の者は肉や魚を食べないが、サト姫用にドジョウやかつおぶしをわざわざ仕入れて与えていた
  • 精進日のエサ代だけで年25両(現代の価値に換算すると約250万円相当)
  • かごの中にちりめんの布団が敷かれた専用の寝床が用意されていた
  • 専用の寝床か、篤姫の着物の裾で眠っていた
  • 紅色の紅絹(もみ)で作られた平紐に、銀の鈴がついた首輪をつけており、この紐は1か月に1回交換していた

こんなに豪華な生活をしていたら、短命だったのではと想像してしまいますが、サト姫は16歳まで長生きし、死後には戒名まで付けられたと伝えられています。

代々続く茶トラ猫を生んだ「ウィンストン・チャーチル」

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ウィンストン・チャーチルは第二次世界大戦期のイギリスの首相として強力な指導力を発揮し、連合国を勝利に導いた人物です。

彼は偏屈で気難しい性格で知られていましたが、意外にも猫好きで、彼の私邸でも官邸でも常に数匹の猫を飼っていました。そのため、チャーチルと猫のエピソードが数多く残されています。

チャーチルが特に溺愛していた猫は、「ジョック」という名前の茶トラ猫でした。ジョックは、チャーチルが88歳の誕生日に秘書官から贈られた猫で、彼が晩年まで住んでいたケント州の邸宅、「チャートウェル・ハウス」で共に過ごしました。チャーチルはジョックが食卓にいないとディナーをとらないという話が伝わるほど、溺愛していたようです。

そんなチャーチルの遺言には、猫に関するものも存在します。それは「チャートウェル・ハウスでは常にマーマレード・キャット(茶トラ猫)を飼うこと。そして、その猫の名前はジョックとすること。」というものです。

この遺言は守られ、現在でもチャートウェル・ハウスでは7代目のジョックが幸せに暮らしています

戦場で猫を活用した「島津義弘」

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島津義弘は薩摩国(現在の鹿児島県の西部)の戦国武将です。戦国最強とも言われる島津四兄弟の次男で、島津氏の第17代当主でした。

勇猛な武将で知られ、敵からは「鬼島津」と恐れられたことでも有名です。1592年から1598年に行われた朝鮮出兵の戦いのひとつである「泗川の戦い(しせんのたたかい)」では、7千の兵で10万の敵を打ち破るという武功を挙げました。

そんな猛将は、戦場に7匹もの猫を連れて行ったと伝えられています。軍用犬のように戦場に犬を連れて行くことはありますが、猫を連れて行くとは一体どのような理由だったのでしょうか。

猫を飼っている方ならご存じかもしれませんが、猫の瞳孔は時間帯によって開き具合が変化する性質があり、戦場で時刻を把握するために、時計の代わりとして猫の目を利用したとされています。義弘は猫たちを各部隊に配置し、食事や出陣の時間を兵士たちに知らせる手段として活用したのです。

朝鮮出兵に従軍した7匹の猫の中で、「ミケ」と「ヤス」という2匹の猫が無事に帰国を果たしました。戦場で活躍したこの2匹は、鹿児島市にある島津氏の別邸跡の「仙巌園(せんがんえん)」の一角にある「猫神社(ねこがみしゃ)」に祀られています

戦場で時間を知らせる役割を担っていた2匹にちなみ、「時の記念日」である6月10日には、愛猫家のために猫の長寿祈願と供養祭が執り行われます。

まとめ

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今回ご紹介した歴史上の人物たちは、本人の性格によるところもありますが、それぞれ置かれている立場や状況により猫の可愛がり方もさまざまで、非常に興味深く感じます。

自分がこの人物の立場だったら、どのような可愛がり方をするだろうかと、過去の人物たちに思いを馳せてみるのも面白いかもしれません。

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