赤色なのになぜ『金魚』?ひな祭りとの縁や2000年の歴史を紹介

赤色なのになぜ『金魚』?ひな祭りとの縁や2000年の歴史を紹介

一般的に3月3日は「ひな祭り」ですが、実は「金魚の日」でもあります。金魚といえば、色鮮やかな「赤い色」が魅力的な観賞魚ですが、なぜ「金魚」と呼ぶのか気になりませんか?

この記事では、金魚の名前の由来やひな祭りとの関係、そして日本や中国での金魚の歴史についてご紹介します。

この記事の目次

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赤いのに「金魚」?金魚の名前の由来

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「金魚」という名前は、その起源である中国で名付けられました。日本へ輸入された際には、金魚をそのまま日本語に読み替えて「きんぎょ」や「こがねうお」と呼ぶようになり、英語でも同様に「Goldfish」と呼ばれています。

金魚の名前の由来には、次の3つの説が存在します。

その1.昔の金魚は黄色だったから

金魚の起源となった「緋ブナ」は、赤いフナとされていますが、その赤色はむしろ黄色やオレンジに近かったとされています。

その後、長い年月を経て、現代では赤い色を引き出す技術が進化し、赤い色の金魚が見られるようになりました。

その2.とても高級な魚だったから

現代では、お祭りでの金魚すくいや観賞魚として身近な存在ですが、日本に輸入された当初は非常に高級であり、貴族や豪商などの上流階級のみが飼えたため、まさに高価な「金」の魚でした。

しかし、金魚は繁殖が容易であったため、繁殖技術の向上と共に数が増加しました。これにより値段も下がり、徐々に庶民の間でもポピュラーな観賞魚として親しまれるようになりました。

その3.中国では縁起の良い生き物だから

金魚は、中国語でお金が余るという意味を持つ「金余」と同じ発音をします。したがって、金魚は金運の象徴とも考えられています。

また、中国では赤色が邪気を払い、幸運をもたらす色とされ、お祭りなどで多く使われる色です。そのため、金魚の赤い色も好まれます。

なぜ3月3日は金魚の日?

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「金魚の日」は1990年に日本観賞魚振興会という団体によって制定されました。金魚といえば、夏祭りの「金魚すくい」を思い浮かべる方も多いでしょう。尾ひれを翻して泳ぐ様が涼しげであるところから、夏の季語でもあります。

このように夏のイメージが強い金魚ですが、実は江戸時代のひな祭りでは、ひな飾りの一つとして金魚が飾られていたそうです。そのため、3月3日が金魚の日とされているのです。

そもそもひな人形は、紙などで作られた人形(ひとがた)で自分の体をなでて穢れを移し、川や海へ流したことが起源と言われています。江戸時代にひな人形と一緒に金魚が飾られていたのは、その名残で水に縁がある物を飾っていたからなのだそうです。

水に縁がある生物の中から、なぜ金魚が選ばれたのかについては、次のような説があります。

  • 金運をつかさどる縁起物の一つとされていた
  • 卵をたくさん生むため、子孫繁栄の縁起物とされていた
  • 高級品であった金魚を飾り、裕福さをアピールしていた

ひな祭りに飾るため、江戸時代に金魚は2月の中旬から3月の初めに売られていました。そのため、金魚売りの売り声は、春の訪れを知らせる縁起の良いものとされていたそうです。

金魚の起源は2000年前の中国

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金魚の歴史は約2000年前の中国に始まります。金魚は元々フナの一種で、その頃はまだ観賞用ではなく、食用として飼育されていました。しかし、突然変異が発生し、色鮮やかな赤い個体が生まれ、これが金魚の起源となりました

当時の中国の人々は、その美しい個体に目を奪われ、次第に金魚を観賞用として飼育するようになりました。徐々に金魚飼育は一部の富裕層や上層階級の間で盛んになり、様々な品種が誕生しました。

特に10世紀頃の宋の時代以降、養殖が盛んになり、養殖技術も進化していきました。

日本に伝来した金魚

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日本に金魚が伝わったのは、今から約500年前の室町時代であり、明(当時の中国)から泉州(現在の大阪)に伝わったとされています。金魚すくいで目にする「和金」という品種に近い体形だったようです。ただし、輸入当初は非常に珍しい高級な魚であり、金魚の飼育や鑑賞は一部の貴族や豪商に限られていました。

江戸時代の金魚ブーム

江戸時代の中期ごろになると、養殖技術の進化により金魚の大量生産が可能となり、価格が低下しました。これにより、江戸の町には金魚を売り歩く「金魚売り」や「露店」が現れ、金魚は庶民にも身近で人気のある観賞魚となりました。また、武士の副業として金魚の養殖が主流だったとされています。

『世事画報』市中世渡種(金魚売)尾形月耕(出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」

金魚ブームのきっかけとなったのは、1748年(寛延元年)に出版された『金魚養玩草(きんぎょそだてぐさ)』です。この本では、良い金魚の見分け方や卵の産ませ方、エサの作り方、病気とその治療法などが詳細に記されており、その内容は現代の金魚の飼育本に引けをとりません。

現代の金魚は、水槽で横から鑑賞するのが一般的ですが、江戸時代の金魚は桶や水鉢で飼育されていたため、鑑賞スタイルも異なり、金魚を上からながめる「上見(うわみ)」が主流でした。そのため、当時の金魚は「上から見た時にいかに美しく見えるか」を第一に改良が重ねられたそうです。

また、ガラス製で球状の「金魚玉(きんぎょだま)」という入れ物で飼育し、軒先などに吊るして金魚を鑑賞したともされています。

明治時代の品種改良

日本で金魚の品種改良が盛んになったのは、明治時代に入ってからのことです。この頃には、飼育環境や技術が発展し、観賞魚としての人気が高まり、様々な品種改良が進んでいきました。

初めに「和金」と呼ばれる、フナに近い体形の金魚が作出され、次に「琉金」や「丸子」が生み出されました。その後、更なる改良を経て、「朱文金」や「らんちゅう」などが誕生したとされています。

日本で生み出された金魚は、濃い赤色で質が良い個体が多く、海外にも多くの愛好家がいるそうです。

まとめ

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約2000年前に中国で誕生し、観賞魚として愛されてきた金魚は、日本でも古い歴史があります。現代では金魚すくいが減少し、他の魚の人気も影響して飼育数が減少しているとされていますが、この記事を通じて金魚の魅力を再発見していただければ幸いです。

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