自分の飼っているヒヨドリやウグイス、ウズラといった小鳥の鳴き声を競い合う行事「小鳥合わせ」が平安時代ごろから行われていました。審査の基準やルールなどははっきりわかっていませんが、平安時代は貴族ら身分の高い人たちが楽しむ遊びだったようです。
江戸時代になると、武士たちの間でもウグイスやウズラを使った小鳥合わせがブームになった記録も残っています。
小鳥合わせがどのように開催されていたのか気になりますよね。そこで、この記事では、後白河上皇が出席したとされる「鵯(ヒヨドリ)合わせ」を『古今著聞集』をもとに紹介しつつ、昔の人々が楽しんださまざまな小鳥合わせを取り上げます。
この記事の目次
鳴き声を競う「小鳥合わせ」とは

小鳥合わせはヒヨドリやウグイスなど自分の飼っている小鳥を持ちより、鳴き声や姿の美しさを一対一で競う遊戯です。発祥は平安時代ごろとされています。
実は平安時代は、小鳥合わせもふくめて「同じ種類の“物”を持ち寄り競う“合わせ物”」という遊びが盛んでした。
合わせ物の例としては、左右に分かれた参加者が詠んだ和歌の良し悪しを審判が判定する「歌合わせ」、花を持ち寄って競う「花合わせ」などが挙げられます。
動物の合わせ物では、闘鶏など戦わせるスタイルもありますが、小鳥合わせは鳴き声(または姿)を競うものでした。
鳴き声を競うことで愛好家が集まり、飼育の情報交換ができるメリットもあったのではないかと筆者は推測します。または愛好家が集まるうちに、「うちの鳥のほうが、きれいな鳴き声だ」などと競技が始まったのかもしれません。
後白河上皇も参加した「鵯合わせ」

後白河上皇の時代に、ヒヨドリの声を競う「鵯(ヒヨドリ)合わせ」が開催されたと伝わっています。単に鳴き声を競うだけでなく、雅楽の演奏や舞もあり雅で華やかなイベントだったようです。
ヒヨドリとは
ヒヨドリは、市街地や森でもよく見られる茶色がかった灰色の鳥です。赤茶色の頬が目立ちます。庭の果実などをついばみに来ることも多く、現代でも割と身近な鳥といえるでしょう。
全長はおよそ27.5センチと小鳥の中でも割と大きいといえます。一見地味ですが、よく通る鳴き声が特徴です。なお、今はヒヨドリの飼育は原則として違法なので、注意してください。
出席者は身分の高い人と家来たち
承安2年(1172)5月2日、後白河上皇の御所で鵯合わせが開催された記録が『古今著聞集』に残っています。ちなみに九条兼実(くじょうかねざね)が執筆した『玉葉』では、承安3年(1173)の5月2日となっています。
出席者は公卿(まえつきみ:天皇の御前に従う人)、侍臣(じしん:君主に仕える家臣)、僧徒、そして彼らに仕える祗候(しこう)の人々でした。
参加者は左右のチームに分かれて座ります。各チームには、それぞれ「頭」と呼ばれるリーダーがいます。
この日の鵯合わせでは、「左方の頭」が内蔵の頭である親信朝臣(ちかのぶあそん:藤原親信)、「右方の頭」が右近の中将定能朝臣(ちゅうじょうさだよしあそん:藤原定能)でした。
準備も念入りな鵯合わせ
鵯合わせは準備もかなり念入りだったようです。鳥かごを乗せる台を設置、周囲には山吹や藤の花、樒(しきみ:神棚などに備える植物)などを飾っていました。
さらに鳥のための止まり木も用意します。止まり木の南北には、それぞれヒヨドリが入ったかごを置きます。
太鼓や鉦鼓(しょうこ)など鳴り物も錦の円座に乗せて準備しました。ヒヨドリが鳴き合わせを行う会場の建物「仮屋」の東北の位置には柑橘類を植え、北の軒端にはバラを植えたと記録してあります。かなり大がかりだったと推測できます。
人々が入場する間は雅楽を演奏
さて、左右各チームに肩入れをする念人(ねんにん)も集まり、それぞれ西南の門から入場します。
右方の頭である中将定能朝臣が準備の完了を告げると、後白河上皇が登場し、人々に入場するように伝えます。
後白河上皇の言葉を聞いた高官らは、参加者(お客さん)を西門の外で出迎えます。客人らが門をくぐるときは、「春日神社に参詣する際の作法に則った」と書かれていることから、イベントとしても重要だったのではないでしょうか。
ちなみに全員が入場して着席するまで、篳篥(ひちりき:笛の一種)や和琴などが鳴り響きました。歌も披露されるなど、雅楽が演奏されていたようです。ここからもかなり優雅な催しだとわかりますね。
ヒヨドリ「無名丸」と「千代丸」の勝負
後白河上皇、念人、お客さんも揃うといよいよヒヨドリ2羽の鳴き合わせ勝負が始まります。左側、平宗盛のヒヨドリには「無名丸」、右側藤原邦綱所有のヒヨドリは「千代丸」とそれぞれ名前がついていました。
「丸」は身分の高い家に生まれた子どもの幼名に使われます。源義経の幼名が牛若丸だったことは有名です。
本来「丸」は便器など不浄なものを指す語でした。あえて「汚い名前」を付けることで、悪霊を遠ざけると信じられていたようです。
小さな子どもと同様、大切な小鳥に悪霊がつかないように、少しでも長生きするようにという、願いもあるのではと筆者は推測します。
「鳴き合わせ」勝負の行方は
無名丸も千代丸も鳴き声はそれぞれ良かったのか、この日の対戦は結局引き分けになりました。どのような鳴き声だったかが記されていないのが残念です。
鵯合わせでは、勝者側に勝った証である串や木の枝を「数立て」に立てる決まりでした。今回は引き分けなので、無名丸も千代丸も串をもらえたようです。勝負が終わると鳥たちは厳かに退きます。
詳しくは記されていませんが、この後も鵯合わせの試合は十二番あったようです。左の勝利が四番、右の勝利が二番、引き分けが六番と記録されています。
当時、鳴き声の勝敗を見極める基準があったと思われますが、『古今著聞集』では触れられていません。
鳴き合わせのあとも余興は続く
鳴き合わせが終わっても、お開きになるわけではありません。今度は舞の勝負があったようです。
曲芸のほかに「物まね」といった滑稽な舞、美しい女性の踊りなどが登場していました。「歌姫」もいるなど、最終的には大勢の人が入り乱れて歌ったり踊ったりと「無礼講の宴」に興じたようです。
大正時代まで続いた「鶯合わせ」

美しい鳴き声の鳥といえばウグイスです。室町時代には、ウグイスの鳴き合わせも行われていました。「鶯(ウグイス)合わせ」は大正時代になっても開催されるほど人気が続いたようです。
ウグイスとは
ウグイスはスズメ目に属し、全長約15.5センチとやや小さめの小鳥です。色はオリーブ色に近い茶色で、あまり目立ちません。ウグイスは「春告げ鳥」とも呼ばれるほど、春の鳥として有名です。
夏頃の「ケキョケキョ」は「谷渡り」とも呼ばれ、オスが警戒してなわばりを主張する鳴き声です。秋冬は、やぶの中などで「チャッチャッ」と「地鳴き(笹鳴き)」を発しています。
ちなみに、ウグイスも現在は飼育できません。
鶯合わせは風雅を楽しむ行事
鶯合わせについて、大阪商業大学アミューズメント産業研究所の高橋浩徳氏は「合わせもの遊戯の実態(上)」でいくつか資料が残っていることを紹介しています。
例えば南北朝時代の公卿である近衛道嗣(このえみちつぐ)の日記『後深心院関白記』には康暦元年(1379)「連歌や鶯合わせなどを行った」と記されているそうです。ただ、どのように鶯合わせを行ったかははっきり書かれていません。
また室町時代の『看聞御記』には、「永享7年(1435)5月1日の早朝に鶯合わせを行ったが、一方のウグイスが鳴かず面白くなかった」という記録が残っています。リベンジのためか、2日後の5月3日も朝から鶯合わせを行い、勝敗を付けたことが記されています。
高橋氏は「鶯を鳴かせてその優劣を競うものだが、勝敗よりも風雅を楽しむ宴の座興のようなものであったと考えられる」と述べています。
引用:
高橋浩徳 ; TAKAHASHI, Hironori ;「合わせもの遊戯の実態(上)」大阪商業大学アミューズメント産業研究所紀要, 号 25, p. 67-100, 発行年 2023-07-31,6
大規模だった江戸時代の鶯合わせ
鶯合わせは、江戸時代になると武士も始めるようになり、だんだん規模が大きくなっていきます。弘化2年(1845)に『春鳥談(しゅんちょうだん)』というウグイスの飼育方法や鳴き声などを解説した本が出版されました。
その本には「鶯声品定会の話」として鶯合わせについて記録が残っています。記録によれば、現在の東京都墨田区の向島あたりにある茶屋が会場でした。
大規模なイベントだったのか、鶯合わせのために審査員はわざわざ前日に向島に入り、参加者も前もって自分のウグイスを置く場所を借りたとあります。どのように勝敗を決めたのか、どのような人が審査員だったのか気になりますね。
江戸時代は「鶉合わせ」も人気

ウズラの鳴き声を競い合う「鶉(ウズラ)合わせ」も桃山時代ごろから行われていました。
ウズラとは
ウズラはキジの仲間で、体長は約20センチ。丸みを帯びた体形で羽の色は黄色がかった茶色をしており、まだら模様が特徴です。
鶉合わせの盛り上がり
鶉合わせは特に江戸時代が盛んだったようで、番付表ができるほどの大人気イベントでした。
『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』という江戸時代の風俗や流行り、習慣などをつづった随筆があります。作者は喜多村信節(きたむらのぶよ)で、成立したのは文政13年(1830)。鶉合わせが流行していたと記されています。

画像を見ると、左ページ最後に「鶉合」について書かれていることがわかります。興味深いのは、右ページにも「鳥さし」「鳥屋」など鳥関係の流行りについて記している点です。
江戸時代に鳥を飼う流行があったことがよくわかります。鳥屋については次の記事をご覧ください。
まとめ

今回は、平安時代ごろから行われていた小鳥合わせについて、鵯合わせ、鶯合わせ、鶉合わせを紹介しました。小鳥合わせは、鳴き声を一対一で競う行事です。
平安時代には、後白河上皇が出席した鵯合わせの記録もありました。会場では飾りつけや雅楽の演奏など、大がかりな演出がなされていたようです。ヒヨドリには「無名丸」「千代丸」など名前がついていました。
ウグイスの鳴き声を競う鶯合わせは根強い人気があり、室町時代から大正時代まで続いていたそうです。特に江戸時代は武士も参加するようになり、現在の墨田区あたりで大々的に開催されていました。
さらにウズラを使った鶉合わせも親しまれていたようです。番付表ができるほどの盛り上がりだったと伝わっています。
行事そのものを楽しむのはもちろん、鳥の飼育も人々は楽しんでいたのではないでしょうか。







































