今の時代、犬は私たちの“家族の一員”のような存在ですよね。
昔はどうでしょう?昔の日本では、犬は私たちの“家族の一員”だったのでしょうか?
今回は、江戸時代に焦点を当てて、江戸時代の犬の飼われ方と、当時の飼い主さんについて紹介します。
この記事の目次
お金持ちに愛された江戸時代の犬たち
日本原産の犬はもちろんのこと、外国産の犬も珍しがられ、人気がありました。
日本原産の犬
江戸時代は、日本原産の犬のほうが親しまれました。
中でもダントツ人気は、“狆(ちん)”。
日本の歴史の中で、度々登場する、人気者。
江戸時代は、座敷犬、抱き犬として飼われ、貴族に愛されました。
外来犬
江戸時代は、江戸幕府による鎖国の真っただ中。
オランダとの貿易交流が盛んでした。そんな中、当然、犬も貿易の対象でした。
座敷犬や大型犬などが流通していて、それらの犬たちは大名の献上品として、親しまれました。とくに大型犬は、その体格から、猟犬に飼育され、大名行列の際には大変重宝されました。
江戸時代の一般人の犬の飼い方
江戸時代も、犬は人々に寄り添って生活していました。
しかし、当時の犬は、人々を生活を共有しつつも、具体的な飼い主のいない犬が一般的だったそうです。
基本的に江戸時代の犬は外で飼われ、リードなどではつながれていませんでした。犬たちは特定の地域を決め、その領域の中で生活していたのです。ほとんどが野良犬ということです。
一方、江戸時代の人々はと言うと、ご飯の時間になったら、犬たちにえさを用意してあげたり、しつけをしていました。当時の人々は、飼い犬でもない犬のお世話をしてあげていたのです。
つまり、当時の犬の立場は野良犬と飼い犬の中間のような存在であったと思われます。確かに、昭和の初期や平成に入ってからも地方では、野良犬や野良猫にエサをあげる人、多くいましたよね。
動物に優しくしなきゃいけない法律
このように、犬と人間の間には、昔から深い深い絆と信頼があったのです。
では、なぜ江戸時代の人々は、自分たちの飼い犬でもないのに、それほど犬に優しくしていたのでしょうか?
自分たちの飼い犬でないなら、えさも与えないでしょうし、しつけもしませんよね。
実は、そこにはとても面白い時代背景があるのです。
江戸時代には“生類憐れみの令”という法令がありました。これは江戸時代の元禄期、第5代目の将軍徳川綱吉(1646~1709)によって制定された法令です。
この法律は動物を保護する目的で制定され、動物に対して虐待を犯した者は罰せられるという内容でした。
生類憐れみの令”って何?
生類哀れみの令(しょうるいあわれみのれい)とは、簡単に言ってしまえば、現代版の動物保護法です。
そして、現代の動物保護法の先駆け的な法令と言ってよいでしょう。
動物たちに思いやりを持って接しましょう、というような内容です。
生類憐れみの令には、135ものお触れが含まれています。つまり、135項もの禁止事項がありました。
保護する対象は、犬だけでなく、猫、鳥、馬、豚、牛、魚類、貝類から虫類にまで及びました。
この法令に値する動物は、ペットだけではなく、生き物ほぼ全部が対象だったと言ってよいでしょう。
それらの動物や生き物の殺生や、虐待、捨てることを禁止していました。こういう視点から見ていくと、徳川綱吉ってとても人情(?)深い将軍ですよね。
生類憐れみの令=悪い法律のイメージ?
私たちが歴史の授業で勉強した、“生類憐れみの令”。
歴史上では、“無慈悲な法令”、そして、とんでもない“悪法”として扱われているかと思います。
その理由は、生類憐れみの令を破った者はたいへんな処罰を受けるからです。
処罰の多くは遠流処分(=島流し)でしたが、もっともひどいものだと死刑です。
しかし、生類憐れみの令って本当に悪い法律でしょうか?
先ほども言ったように、生類憐れみの令は、動物保護法です。動物保護法は、人間の私たちが、生き物のために守るべき法律ですよね。
ですから、生類憐れみの令ってそこまで悪い法令ではないんです。今にして考えると、とても先進的な法令だったとは思いませんか?
家畜から家族へ
江戸時代より前の時代、特に戦国時代では犬の殺生が当たり前でした。
しかし、この法令のおかげで、犬にも人間と同等の権利が与えられるようになったと言うことができます。
この出来事をきっかけに、犬=家畜という概念から、犬=“家族の一員”という考えに変わった時代でもあります。
江戸時代は、ここ日本では様々な事が起こり、日本文化がとても発展した時代です。泰平の世が、様々な価値観や芸術を生み出した時代です。
それと同時に、犬にとっても“激アツ”な時代だったのです。
私たちの大好きな犬の権利は守られ、人々に大切に扱われてきました。
この法令が制定されなければ、もしかしたら私たちは、犬をペットとして飼わなかったかもしれませんね。