みなさんは、日本犬のルーツをご存じでしょうか。その起源をたどると、そこには深い歴史と人々とのかかわりが浮かび上がります。
本記事では、日本犬の奥深い歴史を紐解いていきます。
この記事の目次
日本犬のルーツとは?
日本犬とは、日本が原産である犬の総称ですが、主に日本の在来犬種で国の天然記念物に指定されている「柴犬」「紀州犬」「四国犬」「甲斐犬」「北海道犬」「秋田犬」の6犬種を指す言葉です。
日本犬の特徴としては、三角形の立ち耳や巻尾(または差し尾)を持ち、原始的な犬の特徴を色濃く残しています。中でも、柴犬と秋田犬は「オオカミと遺伝子が最も近い」と言われ、世界的に注目を浴びています。
そんな日本犬のルーツは、縄文時代と弥生時代に遡ることで、深く理解できます。
縄文犬
縄文時代とは、約1万5,000年前から約2,300年前の日本列島で発展した時代を指します。
縄文時代の初期は、氷河期が終わり、地球が徐々に温暖化していく時代であり、気温の上昇に伴い、植物が豊かになり、広大な森が広がっていました。
縄文人の主な食料は、クリやクルミなどの木の実、山菜やキノコといった植物、そしてシカやイノシシ、ノウサギなどの狩猟で得た動物だったと考えられています。
また、縄文時代の早期には、すでに人間のそばで犬が暮らしていたことがわかっています。初めて日本列島に渡来した犬である縄文犬たちはどのような存在だったのでしょうか。
国内での出土例
国内で最も古い犬の骨の出土例は、神奈川県横須賀市の「夏島貝塚」であり、縄文時代早期にあたる約9,500年前のものとされています。しかし、発見された骨の量が少なかったため、詳細な分析はできませんでした。
次に古い時期の犬の骨が出土したのは、佐賀県佐賀市の「東名遺跡」です。ここからは、約8,000~7,700年前の犬の骨が少なくとも7体分、良好な状態で出土しました。歯の状態の分析から、生前は人間と共に狩りをしていた猟犬であったと推測されています。
国内最古の埋葬された犬の骨が見つかったのは、愛媛県久万高原町の「上黒岩岩陰遺跡」です。約7,300~7,200年前のものとされ、埋葬された2体の犬の骨が、人が埋葬されていた場所のすぐそばから発見されました。
あごの骨や歯の分析から、これらの犬もシカやイノシシの狩猟に使われていた猟犬であり、狩猟に出られなくなっても大切に飼われ、丁寧に埋葬されたと推測されています。
縄文犬の容姿
《#おうちで楽しむ石川れきはく》
こちらは、縄文人の狩りのパートナー「縄文犬」の模型。シュッとした鼻筋に野生の面影が残り、シカの追い込み猟に活躍したとみられています。無事、開館再開できましたら、ヒトとイヌの歴史を手前のタッチパネルでたどってみてください!#おうちミュージアム pic.twitter.com/LuAxkJjWLI— 石川県立歴史博物館 (@ishireki) April 23, 2020
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(石川県立歴史博物館公式Xより 縄文犬の模型)
体高は38cm~45cm程度で、柴犬ほどの大きさだったと考えられています。顔つきは、額から口先にかけての凹みが少なく直線的であり、これはオオカミに近く原始的な形質といえます。
縄文犬と人々の関わり
縄文時代の犬の役割は番犬としての役割の他に、狩猟に用いられたと考えるのが一般的です。
危険を伴う狩猟に人間と共に同行していたため、当然怪我することも多かったと考えられます。狩猟中に骨折や怪我をした犬がいた場合、縄文人はどのように対応していたのでしょうか。
発掘された縄文犬の骨の一部には、骨折が治った痕跡が見つかっています。骨折した犬は自らエサをとれません。にもかかわらず、治癒するまで生き延びたということは、人間がエサを与え続け、怪我の手当をした可能性が高いと考えられます。
このことは、縄文犬が縄文人にとって単なる狩猟の道具ではなかったことを示唆しています。埋葬されていたことからも、現代のように家族同然に考えられていたのかもしれません。
弥生犬
弥生時代の始まりには諸説ありますが、紀元前10世紀頃から紀元後3世紀頃までを指す時代区分で、縄文時代と古墳時代の間に当たります。この時代には、日本列島に本格的な農耕文化が定着しました。
縄文時代に主流だった狩猟採集生活から、農耕社会へと変化したことで集落が形成されるようになりました。しかし、備蓄が可能な穀物が食料の中心となったことで、社会的な格差が生じ、集落同士の争いが発生するようになった時代でもあります。
また、弥生時代には朝鮮半島から渡来人がやってきて、農耕技術や文化を伝えました。彼らと共に日本列島にやってきた犬が弥生犬だと考えられています。
縄文犬から弥生犬へ
一説には、朝鮮半島から渡来した人々やその子孫が勢力を広げるにつれて、日本に元々住んでいた縄文人の一部が縄文犬と共に日本列島の北部や南部に移動したとされています。
その結果、弥生時代には日本の中心部で弥生犬が主流となり、現在の北海道や沖縄には縄文犬が多く存在していたと考えられます。
また、縄文犬と弥生犬の交雑も進み、現代の日本犬のルーツは縄文犬、弥生犬、そしてその交雑種に由来しているとされています。
弥生犬の容姿
(大阪府立弥生文化博物館公式Instagramより 弥生犬の模型)
弥生犬は、縄文犬よりもやや大型で脚が長く、現在の四国犬に似ていたと考えられています。
弥生犬と人々の関わり
縄文時代とは異なり、弥生時代の犬の骨は散乱した状態で出土することが多く、解体痕とみられる鋭利な傷がついているものも多いとされています。このことから、弥生時代には犬が食用とされた可能性が高く、その風習は中国大陸や朝鮮半島から新たに渡来したものと考えられています。
一方、鳥取県鳥取市の「青谷上寺地遺跡」では、埋葬されたとみられる犬の骨も発見されており、一部では犬が人間のパートナーとして共に生活していたことがうかがえます。
縄文犬、弥生犬から日本犬へ
総合研究大学院大学の研究グループによる縄文犬のゲノム解析の結果、縄文犬はオオカミから家畜化された最初期の犬に非常に近い存在であったことがわかりました(出典:縄文人の暮らしのそばに 日本の犬の「はじまり」を訪ねて | 朝日新聞デジタル )。
また、他の研究では、日本犬の遺伝子には縄文犬や弥生犬が大きな影響を与えており、さらに戦国時代以降に大陸から渡来した犬種や、わずかながらニホンオオカミの遺伝子も含まれていることが示唆されています(出典:日本列島への人類の渡来に伴って形成された日本犬ゲノムの多重構成)。
縄文時代や弥生時代に人々と共に暮らしていた縄文犬と弥生犬。今ではその姿を見ることはできませんが、その面影は現代の日本犬たちにしっかりと受け継がれています。
最後に
原始的な犬の特徴を色濃く残すと言われる日本犬ですが、そのルーツを辿っていくと、縄文犬や弥生犬の存在がありました。
この歴史を知ることで、さらに日本犬の魅力に気づいていただけるのではないでしょうか。