江戸時代には、高貴な人だけでなく庶民の間でもペットの飼育が流行していました。社会情勢も落ち着いてきたためか、人々にもある程度余裕ができたのでしょう。
また、「生類憐みの令」が発布された時代でもあり、動物をかわいがる風潮も強まったと考えられます。ペットは犬や猫のほか、小鳥、ハツカネズミ、金魚が主流だったようです。
飼育が盛んになれば、商売にする人が登場するのも江戸時代。では、人々はどのようにペットを飼っていたのでしょうか。
今回は、江戸時代のペット事情について紹介します。
この記事の目次
江戸時代は犬の飼育書がベストセラーに

はるか縄文時代から日本人と暮らしてきた動物が犬です。江戸時代にも犬は人々の近くにいました。
犬をペットとして大切にする人も増え、犬の飼育書『犬狗養蓄傳(いぬくようちくでん)』がベストセラーになるほどでした。
この本には、犬の飼育方法や心構え、エサの与え方、病気の治療方法まで書かれていました。さらに終生飼育をするように指導しており、作者の犬への思いが伝わってきますね。
江戸時代の犬は3種類に分けられる?
書籍『動物たちの江戸時代』(井奥成彦 慶応義塾大学出版会)によれば、江戸時代の犬は3種類に分けられたそうです。
1つ目が「町中の犬」で、放し飼いになっているような犬。2つ目が「猟犬」、3つ目が「狆(チン)」となっています。
「町中の犬」は自由に動き回り、居酒屋などの店先でおこぼれをもらいながら人々にかわいがられていた、いわゆる「地域犬」です。
「猟犬」は大名屋敷で飼われていた大型犬で、品種は不明ですがグレイハウンドのような犬だったかもしれません。大名屋敷に地域犬が入り込んで、猟犬と交配することもあったとか。
「狆」は小型犬で、高貴な人々にかなりかわいがられていたようです。ただ、狆は犬種というより、小さい犬全般を狆と呼んでいたと考えられています。
島津家の江戸菩提寺である「大圓寺跡」の発掘調査では、戒名まで与えられている犬(おそらく狆)の墓が見つかっています。犬を亡くし、嘆いた人の気持ちが伝わってきますね。
また、吉原の遊女も狆を飼っていたそうで、遊女と狆の姿は浮世絵にも残っています。
犬の大規模収容施設も
「生類憐みの令」で有名な徳川綱吉が将軍だった時代、現在の中野区に約16万坪にもおよぶ犬の収容施設が作られました。収容した犬は一時10万匹もいたとされ、かなり大規模だったようです。
すべて幕府が管理しており、今でいう動物愛護施設のようなものだといえるでしょう。ただ、たくさんの犬を収容しての運営は難しかったようで、病死する犬もいたようです。綱吉の死後、犬小屋は撤去されました。
お伊勢参りをする犬
驚くことに、「お伊勢参り」をする犬も江戸時代には登場します。病気の主人の代わりに伊勢神宮にお参りに行く犬で、「おかげ犬」と呼ばれていました。
首には主人の名を記した札をぶら下げ、道中の人に銭をもらったり宿に泊めてもらったりといったサポートを受けながら旅をしたと記録にも残っています。
小銭が増えて重くなると、犬に負担がかからないように両替をする人もいたそうです。町や農村で暮らす人々の犬への愛情が感じられますね。
蚕を守って大人気だった江戸時代の猫

もちろん猫も江戸時代の人々に大人気のペットでした。それまで、猫は高貴な人のペットとして紐につながれて飼われていました。
ところがネズミの害が増えたことで、京都では「猫放し飼い令」が発布されたため、町中では猫が自由に暮らすようになったのです。そして次第に庶民も猫を飼うようになりました。
ネズミの害から蚕を守る存在として養蚕農家の人々には大変重宝され、高値で売られる猫もいたそうです。
猫ブームの江戸時代
招き猫が登場したのも江戸時代です。もともとは先に紹介した養蚕の守り神としての縁起物でしたが、商売繁盛など幸運を引き寄せるものになりました。
さらに「猫に小判」「猫の手も借りたい」などのことわざができたのも江戸時代です。
歌川国芳、歌川広重らの浮世絵や小説にも登場するようになるなど、猫が大ブームになりました。
人々が恐れる化け猫伝説
一方で、「猫又」「化け猫」など猫を恐れるような風潮もありました。「猫が年を取ると尻尾が2つに分かれた妖怪になる」という噂に人々は恐れおののいたようです。
さらに化け猫で有名なのが「鍋島猫騒動」です。佐賀で本当にあったお家騒動をもとに作られた化け猫が登場する物語で、歌舞伎や講談で演じられました。
猫のきまぐれな様子や明け方や夕方に動き回る様子が「つかみどころがなくて怖い」と人々に思わせるものがあったのかもしれません。
繁殖マニアもいた江戸時代のハツカネズミ

江戸時代にはネズミを愛玩動物として大切にするブームがあったようです。猫がネズミ退治で活躍した一方で、ネズミをかわいがる人がいたのもおもしろいですね。
江戸時代の人々がかわいがったのはハツカネズミです。安永4年(1775年)には、ハツカネズミの専門書『養鼠玉(ようそたま)のかけはし』が出版されるなど、その人気ぶりがうかがえます。
パンダマウスのルーツは江戸時代
ハツカネズミの交配も熱心に行われていました。天明7年(1787年)には『珍玩鼠育草(ちんがんそだてぐさ)』というハツカネズミの育て方や交配方法などを記した本が発行されています。
本には突然変異で発生した「熊ぶち(体に黒い班があるネズミ)」や「頭ぶち(頭だけ黒いネズミ)」などの絵も描かれている点が特徴です。
ちなみに、現在の「パンダマウス」は、江戸時代に作られた「豆ぶち」がルーツだといわれています。
手のひらにハツカネズミを乗せている子どもの絵も掲載されており、さまざまな年代の人に愛されていたペットだったことがわかります。
江戸時代の高貴な人は珍しい鳥を愛でていた

江戸時代では鳥の飼育も盛んでした。実は、奈良時代にはすでに鳥の飼育は行われていましたが、江戸時代はさらに人気が出てきたようです。
大名や旗本など身分のある人は、色がきれいな鳥や珍しい鳥、大きな鳥を好んで飼育していました。インコなどをヨーロッパから輸入していたようです。
水戸光圀は、孔雀やオウム、カササギなどを飼っていたことで知られています。
江戸時代は鳥屋が大繁盛
庶民もウグイスやスズメ、メジロ、ヤマガラ、ウソなどを飼っていました。ウズラは卵や肉を食べるなど食用としても重宝されたようです。
さらに、美しく育てるのはもちろん、声の美しさを競う品評会なども盛んでした。「鳥屋」といって飼育方法にくわしい「飼鳥商」がおり、大変繁盛していたほどです。
江戸時代に鳥カフェがあった?
鳥は観賞用としても人気が高く「観賞」を商売にする人もいました。例えば浅草には「観物鳥屋(みせものとりや)」があったそうです。
クジャクや鶴以外にも、羊などの動物を飼育しながら人々から入場料を取り、エサを与えるイベントを行う店でした。今のふれあい動物園のようなスタイルだといえます。
また、江戸のあちこちにあったとされる「孔雀小屋」とも呼ばれる「花鳥小屋」では、展示しているクジャクやオウムを眺めながらお茶が飲めました。今の「小鳥カフェ」のような施設ですね。
江戸時代の人々も動物へのエサやり体験やお茶を飲みながら鳥を観賞する喜びを感じていたと思うと、親近感がわきます。
金魚は江戸時代の子どもにも大人気

金魚も江戸時代には盛んに飼育されたペットです。中国から金魚が伝わった室町時代は、上流階級の人の趣味でした。
しかし江戸時代には金魚売りが町中を歩くようになり、庶民にとってもかわいいペットになったのです。金魚売りは夏の風物詩でもありました。縁日では金魚すくいが子どもに大人気だったそうで、ほほえましいですね。
当時の金魚鉢は陶器で透き通っていないため、上から眺める「上見(うわみ)」が主流だったそうです。熱心に繁殖も行われて、目が飛び出た「龍晴(りゅうせい)」などが人気でした。
まとめ

江戸時代は社会情勢が安定してきていたことから、ペットを飼う人が多くいました。
特に「生類憐みの令」が発布されたことで、動物をかわいがる風潮もあったのでしょう。犬や猫、ハツカネズミ、鳥、金魚は人気があったペットです。
現代社会にも通じる終生飼育の考えや、鳥を見ながらお茶を飲むといった施設があったのも興味深いですね。江戸時代のペットたちは、人々にとって癒しの存在だったと考えられます。







































