江戸時代の人々は、ペットである自分の犬や猫にどのような首輪や食器、敷物を使っていたのでしょうか。何か特別なグッズがあったのか、気になるところです。
そこで今回は、浮世絵や江戸時代について書かれた書籍などから、当時のペットグッズを探してみました。調べてみると飼う人の身分や状況によって、犬や猫たちが使うグッズも異なっていたようです。
この記事の目次
江戸時代の犬や猫は首輪をしていた?

江戸時代の絵や資料を見ても、庶民にかわいがられていた町の犬たちが首輪をしているものは見つけられませんでした。ただし、お伊勢参りをする「おかげ犬」たちは、首に縄を巻いて旅をしていたようです。
一方で、狆や猫については、かわいい首輪をつけた姿が多くの浮世絵に描かれています。
お伊勢参りをする犬はお金を通した首輪をしていた
江戸時代、お伊勢参りをする犬がいました。「参宮」などと書いた札やお金を通したひもを首に巻き付けて、お参りをしたと記録が残っています。
野犬などとの区別をつけるためにも、首輪は有効だったのでしょう。首に巻かれたお金で宿に泊めてもらい、食事を与えられ、さらに道行く人から路用金を足してもらいながら旅を続けました。ある意味、お伊勢参りの犬にとって首輪はお財布代わりだったといえます。
歌川広重画『東海道五十三次 四日市』では、鳥居の下に首輪らしきものを巻いたお伊勢参りをする犬が描かれています。

お伊勢参りをする犬についてはこちらの記事も、参考にしてください。
狆はかわいい首輪をつけていた
江戸時代、大名、大奥など身分の高い人達は、狆を好んで飼ってかわいがっていました。徳川綱吉は狆を溺愛していたともいわれています。そのためか、かわいい首輪をつけた浮世絵が多く残っています。
明治期に大奥を描いた楊洲周延(ようしゅう ちかのぶ)の浮世絵『千代田の大奥 狆のくるひ』では元気な狆2匹がそれぞれ首輪をしているのがわかります。後ろで結ぶタイプのようですね。2匹それぞれ色の異なる首輪をつけており、鈴がついているのもわかります。

江戸時代の狆については、こちらの記事をご覧ください。
もう一点、狆の首輪が確認できる浮世絵を紹介します。歌川豊国による『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ) 政岡』です。お菓子を食べようとしている狆は、赤い縮緬(ちりめん)と思われる首輪をつけています。
『伽羅先代萩』は歌舞伎の演目で、幼い主君「鶴千代」を、乳母である「政岡」が守るシーンが有名です。本来のお話では、政岡の息子「千松」が、鶴千代の身代わりとなって毒入りのお菓子を口にし、その場で刺されて命を落としてしまいます。
この浮世絵は、千松の代わりに狆が描かれている点が特徴です。

猫の首輪には鈴がついていた
人に飼われる猫の多くは、首輪をしていたようです。ネズミを捕ってくれる猫は江戸の人々にとって貴重な存在で、他の人に盗られては困ります。「うちの猫」という印のためもあったのかもしれません。
江戸時代の浮世絵には、首輪をした猫が描かれた作品も多く残っています。特に有名な絵が、歌川国芳が描いた『鼠(ネズミ)よけの猫』です。縮緬で作られたと思われる首輪は、ほどけないようにしっかり結んでいます。鈴がついており、当時の猫の飼われ方がよくわかります。

この絵を飾っておくと家にネズミが出ないとされ、ネズミの害に悩まされる人々に大変人気がありました。猫は、天井裏にいるネズミをにらみつけているのでしょうか。
また歌川国政の『炬燵の娘と猫』の中の猫も、首輪をしています。炬燵で温まる娘が、眠っている猫をいとおしそうに見つめている姿を描いた浮世絵です。
白猫はやはり赤い首輪をつけており、背中側には結び目があることがわかります。首輪は、娘の手作りかもしれません。かわいがられている様子が伝わってきますね。

縮緬(ちりめん)とは
首輪に使われている「縮緬」は、どういう生地なのでしょうか?縮緬は、「シボ」とよばれる小さなちぢみがある絹織物です。着物生地として、江戸時代には全国に広まったとされています。
さらに上流階級の女性たちの間では、着物として裁った縮緬の残り布で小物を作る「縮緬細工」が流行りました。猫や狆を飼っている女性たちが、かわいい首輪を作ろうと思うのも自然だと思われます。
今も縮緬の首輪は販売されています。ペットと一緒に江戸の雰囲気を味わってみたい方は、つけてみるのも楽しいですね。
犬と猫の食器は?

では、食器はどうだったでしょうか。庶民にエサをもらう犬たちは、特に食器がなかったようです。猫はなんとアワビの貝殻を食器にしていました。
庶民の犬の食器は決まっていなかった
町中の庶民に飼われる犬たちの食器については、特に決まったものがなかったようです。
「暁鐘成(あかつき かねなり)」が執筆した庶民向け犬の飼育書、『犬狗養畜伝(けんくようちくでん)』には、犬が水を飲んでいる挿絵があります。そこには、飲み水は絶やさずに鉢などに入れておくようにと記されています。桶や樽ではなく「鉢」といっており、浅めの器を利用したのかもしれません。
食事の指南でも、器には特に触れられていません。使わない食器などを代用していたのかもしれませんね。

狆の食器は特別
江戸時代に身分が高い人達の間で飼われていた狆については、食事中の絵や資料がなかなか見つかりませんでした。
しかし、江戸時代の文人・狂歌師「大田南畝(おおた なんぽ)」の狂歌に、歌川貞房(うたがわ さだふさ)が絵を添えた『狂歌圖會』には、足つきの器「高坏」に山盛りにされたお菓子を前に、お預けをされている狆が描かれています(画像左側)。
狆がいつも「高坏」で食べていたかどうかはわかりませんが、庶民の犬とは待遇が異なることがわかります。
身分の高い人に飼われていることをわかりやすくするため、あえて高坏を描いたのかもしれません。

猫の食器はアワビの貝殻
猫の場合は、アワビの貝殻を食器に使っていたという記録がはっきり残っています。江戸時代の戯作を現代語訳した『おこまの大冒険 朧月猫の草紙』にも、猫がアワビの貝殻で食事をするシーンが登場します。
歌川国芳が描いた『源氏雲浮世画合 柏木』には、アワビの食器で食事をする猫が描かれています(左下)。

江戸時代だけでなく、明治に入ってもアワビの貝殻は猫の食器として活躍していました。夏目漱石の『吾輩は猫である』にも、次のようにアワビの貝殻を食器にしていたとわかる描写が出てきます。
晩餐に半ぺんの煮汁で鮑貝をからにした腹ではどうしても休養が必要である。
引用:夏目漱石 吾輩は猫である(青空文庫)
「夕食に、はんぺんの煮汁をかけたご飯を食べてアワビの貝殻の器を空っぽにし、お腹がいっぱいになったので、どうしても休まずにはいられない」という意味です。アワビの貝殻は、しばらくは猫たちの大切な食器だったのですね。
敷物も犬と猫で異なる

江戸時代の犬も猫も敷物の上で寝ることがありました。敷物に関しても犬と狆、猫では、使っているものが異なっていたと考えられます。
庶民の犬の敷物は「むしろ」
町中の庶民の犬にも敷物は与えられていたようです。先ほどご紹介した『犬狗養畜伝』では、犬は湿気を嫌うので「むしろ」を敷くようにとアドバイスしています。
ただし首輪でもご紹介した、お伊勢参りをする犬の中には、お布団を用意してもらった犬もいるようです。
仁科邦男著『犬のお伊勢参り』によれば、長州藩領から広島藩領に犬が入る際に、泊まるときは座敷にあげて犬を布団で寝させてあげてほしいと書かれた手紙が、『広島市史』に残っています。
長州藩の身分の高い人が飼っている母子犬だったそうで、手厚い保護を受けながらお伊勢参りをしたようです。
狆は座布団の上
狆の場合は、敷物でも特別扱いでした。しっかり専用の座布団の上に座っている様子が、歌川国芳の浮世絵『御奥の弾初』に描かれています。
よく見ると、座布団の上に座っているのは、姫君と狆だけです。周囲にいる女性たちも、お琴の奏者も誰一人座布団を使っていません。それだけ狆が大切にされていたと当時の状況がわかります。
浮世絵はリンク先からご覧ください。
猫は人の座布団や炬燵に乗っていた
猫の多くは家の中で暮らしていたため、人の使う座布団や炬燵の上に勝手に寝ていたようです。「むしろ」で寝ていた犬に比べると、かなり待遇がいいといえます。
歌川国芳作の『其のまま地口 猫飼好五十三疋』を見ると、真ん中には、座布団の上で丸まっている猫がいます。絵の左側には、炬燵の上で寝ている猫もいるのがわかります。籠に入っている猫、籠から出ようとしている猫もいますね。
ちなみに、左の上の方に、アワビの貝殻も描かれています。

まとめ

今回は江戸時代の犬や猫が、どのような首輪や食器、敷物を使っていたのかを浮世絵や資料などから紹介しました。
庶民に飼われていた犬が首輪をつけていた形跡は見られず、決まった食器もなかったようです。敷物もむしろでした。ただ、お伊勢参りの犬はもう少し待遇がよかったようです。
一方、身分の高い人に飼われていた狆は、浮世絵などから見ると縮緬の首輪をつけ、座布団も与えられていたと考えられます。
猫も縮緬と思われる首輪と鈴をつけてもらうだけでなく、食器として「アワビの貝殻」も用意されていました。ネズミを捕ってくれる大事な存在であり、かわいがられていた様子がうかがえます。
狆は、猫と同じような縮緬首輪をつけていることから、猫のような存在だったのかもしれません。



































