犬や猫など大切なペットが亡くなったとき、お葬式をしたり、お墓を作ったりと、多くの飼い主さんは供養をするのではないでしょうか。
「ペットの葬儀」というと、最近始まったものという印象があるかもしれません。実は、暮らしを共にしてきた動物を供養する心や習慣は、古代からあったと考えられます。
実際、埋葬された犬や猫の骨が遺跡から発見されたり、墓が残ったりしています。
そこで、この記事では犬や猫がいつ頃からどのように供養されてきたのか、古代から江戸時代まで歴史をたどってみます。
この記事の目次
縄文時代・弥生時代から犬や猫の供養が行われていた?

縄文時代の遺跡からは埋葬された犬の骨が、弥生時代の遺跡からは猫の骨が見つかっています。当時から、人にとって犬や猫は身近な存在だったのではないでしょうか。
縄文時代の遺跡から発掘された2体の犬の骨
縄文時代の遺跡からは、犬の骨が発掘されています。例えば、愛媛県の「上黒岩岩陰遺跡」では、1962年に2体の犬が埋葬された状態で発見されました。現時点で、日本で最も古い犬の埋葬骨だといわれています。ほぼ全身骨格が残る状態で発見されている点が特徴で、大変貴重な資料です。
この2頭の犬については、慶應義塾大学文学部民族学考古学研究室が東京大学、北海道大学、聖マリアンナ医科大学の研究者と協力して調査を行っています。その結果、2頭とも体高40センチほどの小型犬の成犬だと推測されています。犬たちの筋肉は発達した形跡があり、小さいながらたくましい犬だったようです。
一部の歯には欠損がみられ、足には骨折の形跡があることから、イノシシなどの狩猟に活躍したのでしょう。ケガをしても、生きながらえていることを考えると、手厚く世話をされていた状況がうかがえます。
慶應義塾大学文学部民族学考古学研究室のサイトでは、それぞれの犬の骨の360度PhotoVRや復元した体高の画像が見られます。
人のそばに埋葬された縄文犬
富山県にある「小竹貝塚」は縄文時代前期の遺跡です。ここでも埋葬された縄文犬が発掘されています。2009年、2010年の調査では、ヤマトシジミの貝層から91体もの人骨が発掘されました。そして、人と同じ墓域から、埋葬された縄文犬の骨も発掘されています。
人と同じ墓域に埋葬されたということは、犬と親しい関係だったと考えられるのではないでしょうか。
実は遺跡からは、魚類や鳥類、爬虫類などの脊椎動物の骨も発見されましたが、人と一緒に埋葬されていたのは犬だけでした。犬が噛んだ跡が残るニホンジカやクマ、イノシシなどの動物骨が発見されていることから、狩猟犬として人と暮らしていたと推測できます。
その働きや忠誠心に感謝する思いで、一緒に埋葬されたのでしょう。
弥生時代の猫の骨が発見された?
長崎県壱岐のカラカミ遺跡では、2008年と2011年の調査で猫の骨が出土しています。これは、猫が弥生時代にすでに日本で人の近くで暮らしていた可能性を示します。
弥生時代といえば、稲作が始まった時代といわれています。おそらくは、貴重な稲を食べてしまうネズミを狩る目的で飼われていたのでしょう。
国立歴史民俗博物館の第一展示室には、弥生時代を再現したコーナーがあります。ここには、「弥生時代の仔ネコ」と題して、カラカミ遺跡の2匹の猫が展示されています。
ちなみに、ゲノム解析などによる結果から、ペットとしての猫「イエネコ」が渡来したのは平安時代ごろという説も根強く残っています。
とはいえ、弥生時代に猫が人の近くで暮らしていた可能性はあるといえるでしょう。
古代の「義犬」を供養する「犬塚」

人のために命を落とした犬も、日本人は大切に供養してきた歴史があります。古代の日本では、飼い主のために働いた犬を「義犬(ぎけん)」と呼んでいました。義犬が飼い主のために犠牲になったり、天寿を全うしたりした際には「犬塚」を作り、人々は供養していたのです。
奈良時代初期に編纂された『播磨国風土記』には、4~5世紀(古墳時代)に応神天皇の狩り犬「麻奈志漏(まなしろ)」を葬った記録が残っています。
麻奈志漏は、狩りの際にイノシシを追って丘に駆け上がり、イノシシと闘って死んでしまいました。そこで墓を作って葬ったと記されています。
現在の兵庫県西脇市にある「犬次神社」が、麻奈志漏を葬った場所だとされています。今は安産の神様として有名です。
鎌倉時代に中国から来た猫を供養

現在の神奈川県横浜市にある「千光寺」には、今から800年前の鎌倉時代に唐船に乗って中国からやってきた猫の塚があります。北条実時(ほうじょうさねとき)は、六浦湾(現在の金沢八景にある平潟湾)に唐の国からいろいろなものを輸入していました。
猫塚は、唐の国からの船に、荷物をネズミの害から守るために同乗していた唐猫のものと言い伝えられています。
実は唐猫は、船が唐に帰る際に戻らず、そのまま日本の地にいつきました。残った唐猫は「かな」と呼ばれ、村人たちにかわいがられながら子孫を残したそうです。子猫たちも「金沢猫」と呼ばれ、大切にされていたといわれています。
塚が建てられたのも、村人に愛されていたからなのですね。
犬の法事が行われた平安時代

平安時代後期、白河院政期に成立したと考えられる『大鏡』には、清範律師(せいはんりし)という僧侶が、招かれて行った犬の法事で説法をしたという話が載っています。「今、亡くなった霊魂は蓮台(極楽の蓮(はす)の上にある台座)の上で『ワン!』と吠えていらっしゃるだろう」と清範律師は言った、と書かれています。
原文には次のように記されています。
ただいまや、過去聖霊(くわこしやうりやう)は蓮台(れんだい)の上にてひよと吠(ほ)えたまふらむ
「ひよ」は当時の犬の鳴き声を表す言葉ですが、本来は「びよ」と聞こえていたようです。平安時代は身分の高い人が、番犬や狩猟犬として犬を飼ったとされています。当然、人になついた犬もいたはずで、法要をするほど大切にされていたのでしょう。
犬や猫のお墓が各地に残る江戸時代

江戸時代になると、犬や猫をペットとして扱う人も増えてきました。そのため、大切にされていた犬や猫のお墓や塚が現代にも残っています。
義犬「華丸」の墓
肥前の国、現在の長崎県に江戸時代の犬の墓が残っています。大村藩家老「小佐々市右衛門前親(こざさいちえもんあきちか)」が飼っていた犬「華丸(はなまる)」の墓です。長崎県大村市の本経寺(ほんぎょうじ)にあり、現在は国指定の史跡となっています。
前親は、三代藩主「大村純信(すみのぶ)」の守役も務めていました。ところが、純信は33歳という若さで亡くなってしまいます。ショックを受けた前親は、1650年に殉死してしまいます。
華丸は主の死を嘆き、前親の火葬の炎の中に自ら飛び込んで亡くなってしまいました。主人を思う犬の忠義心を供養するために、前親の墓の横に華丸のお墓が作られています。前親と華丸の主を慕う気持ちが切ないお話です。
墓の高さは三尺(約90センチ)で、上級武士と同程度の大きさであることからも、人々が華丸を敬う心が伝わってきますね。
暁鐘成の愛犬「皓」の墓
江戸時代、庶民向けの犬の飼育書『犬狗養畜伝(けんくようちくでん)』の作者である「暁鐘成(あかつきのかねなる)」の愛犬の墓もあります。犬の名前は「皓(しろ)」。皓は、暗峠(くらがりとうげ)で暁鐘成が賊に襲われた際、主人を守ろうとして命を落としたと伝えられています。
暁鐘成はひどく悲しみ、大阪府東大阪市にある梅龍山勧成院(ばいりゅうさんかんじょういん)に埋葬してもらったと記録されています。墓の前には小さな犬の像もあります。
『犬狗養畜伝』の中でも、犬を飼うのに大切なのは慈愛の心であると、犬への愛を説いています。
回向院の猫塚
東京都墨田区に「回向院(えこういん)」というお寺があります。
回向院が開かれたのは、明暦3(1657)年です。「振袖火事」とも呼ばれる「明暦の大火」で亡くなった人々の冥福を祈るために建てられたお寺です。
「人も動物も分け隔てなく、生あるものすべてに仏の慈悲を説く」お寺として人々に親しまれてきました。そのためか、猫を葬る猫塚が残っています。
文化13(1816)年、時田喜三郎という人物の飼い猫は、魚屋さんから魚をもらっていました。あるとき、魚屋が病に伏せて商売ができなくなると、喜三郎の猫は小判を2両、2度も魚屋のために持って行ったのです。
いつも魚をもらっていたから、猫はお礼がしたかったのでしょう。
しかし、事情を知らない奉公人は、小判を持って行こうとした猫を殺してしまいます。あとから魚屋に話を聞いた飼い主の喜三郎は、猫の恩を感じる心に感銘を受け、回向院に葬ったのでした。
回向院の犬と猫の戒名
回向院には、江戸時代に亡くなった犬や猫の戒名も残っています。獣医師の柴内晶子先生の論文、「日本における猫の歴史―近世―」によると、回向院の過去帳にあるのは、狆6匹、狗(犬)1匹、猫4匹の戒名だそうです。
狆と犬を分けているのは、狆は身分の高い人が飼う犬、狗は特に飼い主を持たない犬と、当時は別のくくりだったためです。
戒名の例としては、「遊猫畜門転生 天保12年12月8日 大和屋」などがあります。回向院が当初から、人も動物も含めて命あるものに仏の慈悲を説いていたことがよくわかりますね。
参考:
柴内晶子『日本における猫の歴史─近世─[PDF]』
寛永通宝と一緒に埋葬された犬
港区の大名屋敷跡にある「白金館址遺跡」からも、埋葬された犬が発見されています。なんとこの犬には、「寛永通宝」も一緒に副葬されていました。港区立郷土歴史館の資料によると、寛永通宝は三途の川を渡るための銭とされています。
三途の川を故人が渡る際には、お金として「六文銭」が必要だという考えがあります。愛犬があの世に行く際に困らないよう、飼い主がお金を一緒に入れてあげたのでしょう。飼い主の犬への深い愛情が伝わってきますね。
まとめ

今回は、犬と猫が日本でどのように埋葬されてきたのかを紹介しました。犬は縄文時代から、人の手によって埋葬されてきたと考えられます。江戸時代になると、ペットとして大切に飼われてきた犬や猫が手厚く葬られていたことがよくわかります。
はるか昔から、犬や猫は伴侶動物として飼われていたと考えられるでしょう。伴侶動物が亡くなる悲しみは、人間にとって古代からずっと変わらないともいえます。一緒にいられる時間が限られているからこそ、現代を生きる私たちも精いっぱいの愛情を注いでいきたいですね。

































