江戸時代の猫はネズミ捕りで人気?愛される猫から化け猫まで紹介

2026.01.17
江戸時代の猫はネズミ捕りで人気?愛される猫から化け猫まで紹介

江戸時代も、現代のように猫は大人気でした。高貴な人しか飼えなかった猫が「ネズミ捕り」をするため町中に放されたことがきっかけで、庶民も飼えるようになったのです。

猫はペットとしてはもちろん、ネズミから蚕など大切なものを守る存在として、さらに浮世絵や物語の題材としても愛されていました。

一方で、妖怪「猫又」や化け猫伝説などもあり、猫は人々が恐怖を覚える存在でもあったのです。

今回は、江戸時代の猫がどのような存在だったかをご紹介します。

この記事の目次

益獣としての猫

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江戸時代に猫が人々の間で一般的になったのは、慶長7年(1602年)に発令された「猫放し飼い令」がきっかけだといえます。これまで屋敷の中にいた猫は、増加したネズミを退治するために町中に放されることになりました。

紐につながれた状態から放し飼いに

平安時代、猫は貴族しか飼えない貴重な動物でした。宇多天皇や一条天皇が猫を溺愛していたことも有名です。逃げたり人に盗まれたりしないよう紐で繋がれ、家の中で大切に飼われていました。

しかし、戦も減り世の中が落ち着いてくると、人が増えて食糧も豊かになってきます。同時に、穀物を荒らすなどネズミの害に困る人が増えてきました。ネズミを捕ってくれる猫は貴重な存在です。

そのため、京都で「猫は放し飼いにするように」というお触れが出ました。いわゆる「益獣」として猫の活躍が期待されたといえるでしょう。

同時に猫の売買も禁止されました。猫を盗んだり、町にいる猫を捕まえたりして売るといった商売を禁止したのです。売買する人がいるほど、猫は人気があったともいえますね。

蚕を守る役割の猫はひっぱりだこ

猫は養蚕農家にとって欠かせない存在でした。

江戸時代は養蚕が盛んになったものの、蚕や繭はネズミに狙われやすく被害に困り果てていたのです。売買は禁止されていましたが、お金を出して猫を買う養蚕農家もいたといわれています。

もちろん、誰もが猫のためにお金を出せるわけでもありません。猫を買えない養蚕農家は、「ネズミ除けの猫の絵」を貼っていました。猫の絵だけでも効果があると信じていたのです。

そうなると、今度はネズミ除けのための絵を描くことを商売とする人も登場しました。猫は新しい仕事まで生み出してしまったのですね。

養蚕農家にとって猫は「神様」?

大切な蚕を守る猫は、神様のような存在でした。養蚕の神様を祭る「蚕影(こかげ)神社」の中には、猫神様を祭っているところもあるほどです。

東京立川市にある阿豆佐味天神社(あづさみてんじんじゃ)・立川水天宮の境内内の蚕影(こかげ)神社には猫が守り神になっています。現在は、絵馬に願いを書くことで迷子になった猫が帰ってくるといわれ「猫返し神社」と呼ばれています。

大八車で猫をひいて牢屋に!「生類憐みの令」

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江戸時代は、徳川綱吉が「生類憐みの令」を発布したことでも有名です。放し飼いになった猫は、江戸時代でも交通事故に遭うリスクが高まります。猫を危険な目に合わせる車両は、江戸の町を走り抜けていた二輪の荷車「大八車」です。

ある日、猫をひいてしまった大工は「生類憐みの令」により、なんと牢屋に入れられてしまったという記録が残っています。

参考:史料解説―猫、大八車に牽かれる|第16回 猫、大八車に牽かれる|東京都公文書館

大奥の猫、庶民の猫

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猫は大奥でも大人気でした。まさに猫かわいがりをしていたようで、篤姫は猫にずいぶんお金をかけていました。もちろん庶民の間でも伴侶動物として飼われていたようで、戒名をもらった猫もいるほどです。

大奥の猫は「お誕生日会」も開催

大奥でも猫を飼うのが主流だったそうです。大切に飼われていて、なんとメス猫はひな祭り、オス猫は端午の節句を祝っていたとか。そして子猫のお誕生日にも祝宴を開いていたそうで、現代のペット事情に通じるものがありますね。

ただ、その裏には猫を利用した政治的な魂胆もあったようです。

ちなみに、篤姫として知られる十三代将軍正室・天璋院は大の猫好きであり、飼い猫の年間のエサ代は現在の金額にすると250万円以上(25両)だったといわれています。

庶民の猫は「戒名」も

もちろん庶民も猫を大切にしていました。都内の深川江戸資料館では「実助(まめすけ)」という猫を見ることができます。

実はこの猫、江戸時代に本当に飼われていた猫で、亡くなった時は万徳寺に葬られました。なんと戒名「駁斑猫実(ぶちぶちねこまめ)」がつけられており、どれほど人々に愛されていたかが伝わってきますね。

浮世絵や物語で活躍する猫

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浮世絵や物語にも猫は登場します。日常の風景に猫がいる浮世絵のほかに、猫を擬人化したものも多く描かれています。特に歌川国芳、歌川広重、月岡芳年らの作品が有名です。

猫が主人公の物語『おこまの大冒険』は、現代でも読み継がれています。

浮世絵の中の猫たち

歌川国貞の『江戸名所百人美女 四ツ谷』には、小さな子どもが猫を撫でている(押さえつけている?) ほほえましい様子が描かれています。

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歌川国貞,Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)

歌川広重の作品『名所江戸百景 浅草田圃酉の町詣』では、白い体にしっぽだけが灰色の猫が、窓辺で外を眺めています。いつの時代も猫は窓辺から外を眺めるのが好きだとわかりますね。

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歌川広重,Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)

歌川国芳自身もかなりの愛猫家だったそうです。国芳の『虫撰 こがねむし』では、膝の上の猫に女性が櫛を入れている様子が描かれています。足元にはさらに2匹の猫がいて、かわいがられていた様子がみてとれます。

※作品画像は、以下のリンク先でご確認ください。

にゃんとも魅惑の浮世絵ワールド ― そごう美術館「Ukiyo-e 猫百科 ごろごろまるまるネコづくし」(レポート)

『流行猫の曲鞠(はやりねこのきょくまり)』は、着物を着た猫の動きで、蹴鞠の技を紹介しています。ブチやハチワレ、三毛猫などさまざまな模様の猫が、毬を器用に扱っています。全員異なる着物を着ているなど、大変凝っている浮世絵なので見ていて飽きないでしょう。

※作品画像は、以下のリンク先でご確認ください。

江戸にゃんこ 浮世絵ネコづくし | 太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art

国芳の弟子・歌川芳藤による『小猫を集め大猫とする』は、タイトル通り小さな猫の体を集めて1匹の大きな猫を描いたもの。表情の異なる猫が何匹いるのか数えるのも楽しいですね。

※作品画像は、以下のリンク先でご確認ください。

江戸にゃんこ 浮世絵ネコづくし | 太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art

物語の主人公にもなった猫

猫の物語は以前、他の記事でもご紹介した『おこまの大冒険~朧月猫の草紙』が有名です。主人公であるメス猫・おこまが、オス猫と「かけおち」をするお話で、奇想天外なストーリーが江戸時代の人々の心をつかんだようです。

現代語に訳した書籍が販売されていますので、興味のある方は読んでみてください。

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幸せを招く「招き猫」

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招き猫は江戸時代末期からある縁起物です。右手を上げている招き猫は金運を、左手は人や幸運を招くとされています。国内外を問わず、今も人気のアイテムです。

発祥についてはさまざまな説がありますが、ここでは「豪徳寺」と「浅草今戸」2つをご紹介します。

東京・豪徳寺の招き猫

豪徳寺が招き猫の発祥とする説があります。

鷹狩の帰りに豪徳寺の門前を通りかかった井伊直孝が、猫に手招きをされました。猫につられるように寺に入り、和尚と話しながら時を過ごしていると、外は突然の雷雨に。

猫のおかげで雷雨を免れた井伊直孝は感動し、豪徳寺を支援したというのが招き猫の始まりとされる説です。

浅草・今戸の招き猫

もう一つ有名なのが、浅草今戸の猫のお告げ説です。

浅草に住む老婆が、貧しさから泣く泣く手放した飼い猫が夢に現れ、「自分の姿を焼き物にすれば福を招く」と告げました。老婆は言われたとおり、猫の人形を今戸焼で作りました。

浅草の今戸神社には招き猫がたくさん置かれており、今も多くの人が訪れています。

猫又や化け猫で恐れられる猫

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大人気の猫ですが、なぜか恐れられる存在でもありました。有名な話としては「猫又」と「鍋島猫騒動」があります。

年老いた猫の尾が2つに分かれて妖怪になる「猫又」

妖怪「猫又(または猫股)」は、すでに鎌倉時代から人々に恐れられていました。『徒然草』にも猫又の話が出てきます。

当時は山に住む猫の妖怪だったのですが、江戸時代には「長生きした猫のしっぽが2本に分かれ化け物になる」と恐れられるようになりました。

長生きは喜ばしいはずですが、なぜか年を取った猫は嫌がられていたようです。もしかしたら、高齢になった猫が病気になったり、体が衰えたりしたのを「化けた」などと解釈したのかもしれません。

猫又を恐れて短い尾の猫が好まれるように

さらに当時の人々にとっては、猫の長い尾がくねくねと動く様子が蛇のように見えるのも気味が悪かったようです。

猫にとっては災難ですが、飼い猫を猫又にしないためにも長い尾を断尾することもあったそうです。東南アジアや中国など海外から短い尾の猫が入ってきたこともあり、短い尾の猫が好まれるようになりました。

短いかぎ型の尾の猫は商売繁盛を招くとして、歓迎されたともいわれています。実際、浮世絵を見ると短い尾の猫が多くいることに気づきます。

歌川国芳の「其ま丶地口 猫飼好五十三疋(そのままじぐち みょうかいこうごじゅうさんびき)」は、「東海道五十三次」の宿場名を猫にまつわるダジャレにして、猫の仕草で表現した浮世絵です。

この絵を見ると、ほとんどが尾が短い猫であることがわかります。ただし、長い尾が2つに分かれた猫又らしき猫も混ざっている点がユニークです。国芳は猫が好きだったため、猫又は信じていなかったのかもしれませんね。

Cats suggested as the fifty-three stations of the Tokaido

歌川国芳,Public domain,ウィキメディア・コモンズ経由で)

化け猫が恨みを晴らすお話

もう一つ有名な「怖い猫」が「鍋島猫騒動」です。肥前佐賀藩で本当に起きたお家騒動「鍋島騒動」に脚色が加わり、化け猫騒動として歌舞伎や講談になりました。

飼い猫が化け猫になって恨みを晴らす話で、大変人気があったそうです。なぜ恨みを晴らす怖い存在として描かれたのでしょうか。かわいいけれど、気まぐれでつかみどころのない猫は、時に恐ろしい生き物として人々の目に移ったのかもしれませんね。

まとめ

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江戸時代は、紐につながれて高貴な人々に飼われていた猫が、ネズミ退治のために町中に放たれた時代でした。ネズミを捕るために活躍した猫は、特に養蚕農家には欠かせない存在だったのです。

猫の飼育は庶民にも広がり、伴侶動物としても猫はかわいがられていたことがわかります。多くの浮世絵のモチーフや招き猫としても猫は大人気でした。

一方で、妖怪の猫又や化け猫伝説などで恐れられる存在でもあったのです。猫は「役に立つ」「かわいい」「怖い」という、不思議な存在だったのかもしれません。

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